まえがき プレイステーションのスイッチを入れる、コントローラーを握る、使用するキャラクターを選ぶ、技をくり出して相手を攻撃する……たかがこれだけのことに世界中のどれだけ多くの人々が魅了され、狂喜と興奮に駆られ、あるときは喜び、あるときは屈辱に襲われ、またあるときは怒りや悲しみにうちひしがれたことだろうか……。 いや、私がこの文を書いている今現在も、日本中のいたるところで、世界中のいたるところで『鉄拳』 の魅力のアリ地獄の中で狂喜と絶望をくり返している人は無数にいることだろう。 『鉄拳』という格闘ゲームとは人間の一生をも左右する要素を秘めた壮大極まりないロマンであり、単なるコンピューターゲームを超えた世紀のエンターテイメントなのである。 ある有名なチェスファイターの言葉にこのようなものがある。 「チェスは人の一生を台無しにする」 つまり、チェスの魅力の虜になったら最後、一生チェス以外のものが目の中に入らなくなるという意味だ。 格闘ゲーム『鉄拳』もまさにそうした側面を充分すぎるほど兼ね備えた奇跡のゲームであり、寝ても覚めても『鉄拳』のことで頭の中が支配された人生をおくっている人は星の数だろう。 ある視点から見ると『幼稚で子供っぽい』『1度きりのせっかくの人生を無駄にしている』といったふうに感じられるのかもしれない。 しかし『鉄拳』に頭が支配されている無数の人間たちの中のひとりである私の視点からいわせてもらうと、そうした感情を抱く人たちこそが内容の薄い人生を歩んでいる哀れな人たちである。『鉄拳』という奇跡の、恍惚の空間がこの世の存在していることを知らないままたった1度の人生をおくり続けているのだから。 たしかに“たかが格闘ゲーム”である。どれだけ勝利の山を築いても格闘家のように巨万の富を得ることもできないし、野球選手やサッカー選手のように女の子にキャアキャア騒がれることもない。 しかし、それでも『鉄拳』の魔力にとりつかれた人々はコントローラーを握りしめ、またはアーケードの席に座り、対戦相手の操るキャラクターを知能と技術の限りを振り絞って倒し続けていくのだ。その果てにある極上の喜びと達成感の光の丘にのぼるために。 数ある格闘ゲームの中でも異色の輝きと存在感を放つゲーム『鉄拳』とはそれほどの作品なのである。 私はこの“格闘ゲーム小説”の中で『鉄拳』をはじめた頃から順に対戦の思い出を書きつづるつもりでいる。私の文章から『鉄 拳』の別格のおもしろさと魅力を感じ取る人がひとりでも多くあらわれてくれれば至上の喜びである。 第1話『鉄拳との出会い』 私がはじめて『鉄拳』を目にし、実際にプレイをしたのは西暦1998年のことだったと思う。 当時20歳の私は“とある書物”を完成させるべく内容や構成をまとめることに頭を働かせ続ける日々をおくっており、疲労やストレスがたまると自転車で30分ほどのアライヴという店に行って気分をリフレッシュさせていた。 アライヴというのは1階が本や漫画や写真集、2階がゲームやビデオレンタルを扱う店で、当時は執筆がつまずくたびにアライヴに訪れて本を立ち読みしたり、無料の体験版ゲームをやったりして気分を切り替えていたものだった。 そのアライヴの2階のゲームコーナーにある日、『鉄拳3』というゲームが登場したのである。 それ以前はたしか『メタル・フィスト』というゲームや『ウルトラマン』の格闘ゲームなどが出ており、アライヴに立ち寄るたびに楽しくプレイさせてもらっていたものだった。そのゲームコーナーのところに、新発売の作品なのだろう『鉄拳』シリーズの第3作目が登場したというわけなのだ。 厳密にはアクションゲームに分類されるのかもしれないが、私が生まれてはじめて格闘ゲーム的なソフトをプレイしたのは小学 生の頃で、『スパルタンX』『イーアル・カンフー』『スーパーチャイ二ーズ』、この3作品のどれかだと記憶している。その 後、スーパーファミコンの『ストリートファイター?』もかなりやりこんだものだった。しかし人と対戦することはなく、弱いコ ンピューターばかりが相手の日々に飽きが生じてスト?から離れていった。 それから数年がたってアライヴで『鉄拳3』と出会ったのだが、それまでの間にも格闘ゲームっぽい作品をちょこちょこやりはしたものの、どれもディープにはまりこむことはなかった。しかし『鉄拳3』だけはまったくの別だった。 格闘ゲームづけの毎日━━まさにスト?以来のことである。 『鉄拳3』を目撃した私はさりげなくコントーローラーを手にし、プレイすることができるらしいヨシミツというキャラクター を使い出した。 ヨシミツというのは刀を持った“機械忍者”とでもいうような奇妙な風体のキャラクターである。 しかし、まったくのはじめてのことだったので技の出し方も動かし方もよくわからない。結局、コンピューター相手にボロ負け に終わってしまった。 これが、私の『鉄拳』初体験である。 そんな私のぶざまなプレイをそばで見ていた小学1年生くらいの男の子たちが噂話をし出していた。 「ぼく、ヨシミツ知ってるよ」 「教えてあげよっかな?」 私は微苦笑を浮かべながらアライヴの2階をあとにした。 |