サンプル:12歳、私の初体験

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私は今19歳。 
初めてセックスしたのは12歳のときだった。 
まだ日本に住んでいたので相手は日本人の男だ。 
場所は渋谷の円山町、そうラブホテル街。 
ヴァージン喪失そのものはあっけなく終わった。 
ちょっと痛かっただけで、性的充実感という意味では満足したが儀式という意味では期待はずれだった。 
世の中には初めてセックスすることに異様な恐怖感を感じている女の子が少なからずいる。 
恐怖感の期待感、といいかえてもいいだろうか。 
ヴァージン喪失とは、それほど恐怖を感じるようなすごいものでなければならない。そう思い込んでいる女の子がいる。 
日本の女の子もそうだろうし、私の母国であり現在住んでいるポーランドの女の子の中にもいる。 
しかし、私の性格と状況の両方に理由があるのだが、私の場合あまりにもそれがあっけなかったためにそんな彼女たちの思い込みを今でも到底信じることができない。 
何しろ幕が上がった次の瞬間には膜は破れて消え去っていたのである。 
こう説明すると日本人は誰もが笑うのだった。 
私はミックスだけれどポーランド人である母親似だから完璧な外人にしか見えなかった。 
私のパパは日本人女が大大大っ嫌いだったから、それをとても喜んでいた。 
私がまだ小さいときには日本人の父親からブロンドの子供が生まれることに、いつまでたっても驚いていたらしい。 
本当に自分の子供だろうか、とママを問い詰めて怒らせたこともあったという。 
このように実際は日本人とポーランド人のミックスだけれども外見的には私はまったくの外人だった。 
私は10歳から15歳までの間、日本に住んでいた。 
その5年の間、数え切れないぐらい容姿をほめられた。 
私に会った人で私の容姿をほめなかった人はひとりもいない。 
どうもありがとう。 
子供ながらに身につけたこの国で生活するための知恵で、いつもにっこりお礼をいっていたが、ちっともうれしくなかった。 
こういってはなんだが私をほめる人たちはけっきょく私を自分のまわりの日本人女と比較しているだけだった。そこからもたらされる安易な感想をいっているだけだった。 
日本人の女と比較されてほめられても、ほめられているような気がまったくしなかった。あんまりくどいと馬鹿にされているような気さえした。 
日本という国での相対的な評価など私には何の意味もなかった。 
私は現在日本とポーランドのデュアルナショナル(2重国籍者)なのだが、たとえミス日本に選ばれるよりも、私が住んでいるグダニスクという街の中の小さな集落のコンテスト、あるいは私が所属しているヨーロッパ史の数十人のクラスのコンテストでトップに選ばれるほうがはるかに私に喜びと自信をもたらすだろう。 
私は日本人女嫌いの父親から日本人女の悪口を子守唄代わりに聞かされて育った。当然の結果として日本人女が大嫌いになった。しかしそういうある種の教育方針というか洗脳を別にしても私は充分に日本人女を嫌っていた。 
なぜなら私は盲人ではないからである。 
容姿、性格、仕草や立ち居振る舞い、日本人女に関するあらゆることが私は我慢できなかった。 
特に嫌悪感を催すのがテレビや雑誌に出ている女たちだった。 
もちろんふだんそういう感情を表に出すことは、お父さんと話すとき以外にはなかったけれど。 
初めてのセックスの相手の男は32歳だった。

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