━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ = リーダーの資格 = ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ようこそ「リーダーの資格」へ 発行者のhiroです。 今こそリーダーに必要な資格とは何か 私が自分なり勉強したことをご紹介いたします。 ずっと末永く、ご購読ください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 創刊号 [2004年 1月 16日] 不定期発行 ----------------------------------------------------------- http://rocky622.web.infoseek.co.jp/leadership.htm ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ ※よきリーダーであるための六ヶ条とは なにか考えてみましょう! 創刊号は、第一条から第3条までの具体例をご紹介します。 ----------------------------------------------------------- ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ----------------------------------------------------------- <よきリーダーであるための六ヶ条 > 第一条 部下に夢を与えよ 第二条 楽観主義者たれ 第三条 率先垂範を重んじよ 第四条 「言葉の魔術師」たれ 第五条 スピードを重んじよ 第六条 勝利のときこそ厳しくあれ ※それでは、具体例をご紹介します。 ----------------------------------------------------------- ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ----------------------------------------------------------- 第一条 部下に夢を与えよ 「世界のホンダ」――本田技研工業の創業者である本田宗一郎は、会社がまだ浜松の小さな町工場であった時代から、社員たちに「世界一のオートバイ・メーカーになろう」とくり返し語りつづけた。 最初は本気にしなかった社員たちも、やがて「この人についていけば世界一になれる」と思うようになったという。1949年に誕生したホンダ初の二輪車は、その名も「ドリームD型」。部下に夢を与えたという点でも、本田宗一郎は稀代の名経営者だった。 第二条 楽観主義者たれ 「経営の神様」と呼ばれた松下電器産業創業者・松下幸之助もまた、楽観主義者だった。氏はたとえば、学歴がなかったこと(小学校を四年で中退)、没落した名家に生まれたこと、身体が弱かったことの3つを、むしろ「自分が成功した秘訣」ととらえていた。 学歴がないからこそ誰からも謙虚に学ぶことができ、貧しかったからこそ家の再興を目指してがんばることができ、病弱だったからこそ「いかに部下にまかせるか」を工夫して人材育成ができた―というのである。 物事をつねに明るい面からとらえ、逆境をバネとして戦うそうした姿勢こそ、松下グループを築き上げたリーダーシップの基盤であった。 第三条 率先垂範を重んじよ 江戸後期、わずか17歳で米沢藩主となり、大胆な藩政改革で財政危機と飢饉を乗り越えた上杉鷹山。その改革は率先垂範の姿勢につらぬかれていた。 たとえば、財政建て直しの第一歩として藩内に大倹約令を発したときには、まず鷹山自らが徹底して生活を切りつめた。それまで千五百両だった藩主の生活費を二百両にまで引き下げ、奥女中の人数は5分の1以下にした。 さらには食事も毎食一汁一菜とし、服装も絹服から木綿服に変えた。リーダーがそのように範を示したからこそ、「痛みをともなう改革」に周囲もついてきたのだった。 ----------------------------------------------------------- ※「リーダーの資格」創刊号は、いかがでしたか? それでは、次回をお楽しみに!! ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ = リーダーの資格 = ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |